<四季の舎>建築スケジュール
「新しい住まいの設計」1999年4月号掲載

MY CALENDAR 

1995年1月17日
●阪神大震災。

●戸建て借家で暮らしていたが、老朽化した木造2階建、安全とはいえなかった。
本格的に家探しを始める。横浜市内を中心に、土地を探す。
自分で設計するので、「建築条件なし」「更地または古家あり」の土地情報を集める。
予算が限られているので、集まる情報は、環境、接道、敷地形態など条件の良くないものばかり。
設計者の目で見ると、その土地にできる建築の可能性はすぐに判断できる。
この1年間で現地を見たのは40を下らない。
(一般の人も、土地探しの段階で建築家に相談した方が、効率よく探せるし、結果的に
希望にかなう住宅を手に入れることができる。)

1996年4月
●適当な情報に出会い、売り手と交渉していたが、同じ頃、横浜市内に土地古家を譲ってくれる人
が現れた。それが我が家となったのだが、駅から1q歩く間の寂しい環境が気になった。
敷地そのものは県立公園に南面している。10万坪の自然公園で壮大、そして池を望める抜群の環境。
公園入口に近いので人が集まりにぎやかなことはあるが、1階を寝室、2階に居間台所をもってくれば
非常に良くなるのではないかと直感。
暫くは既存古家を(耐震を含めて)リフォームして使い、いずれ新築しようと考えた。

1996年6月1日
●土地の購入資金を銀行に融資交渉。住宅ローンで借りられることとなった。

1996年7月10日
●不動産屋を介せず売買契約。漸く土地を手に入れた。土地探しはようやく集結。

1996年7月30日
●土地、古家の登記完了

●リフォームをじっくり考えようと思っていたところ、住宅金融公庫の融資条件が翌年より変わることが決まる。

●敷地は私道を除き91.97u、建坪率・容積率が厳しい地域なので建てられる住宅の床面積は73.57uまで。
公庫の融資条件は70u以上だが、翌年より80u以上となり、翌年以降は公庫の融資を受けられない敷地と
なってしまう。
銀行よりも金利は高いが、やはり安定した公庫融資に頼った方が良いと判断し、急遽、思い切って新築計画を
進めることにした。

●設計は最初に土地を見たときの直感通り、すんなりとまとまる。建物の構成、規模、デザインなども早い段階
で固まっていた。詳細設計、ローコスト化の工夫などはとりあえず懸案。


1996年9月25日
●住宅金融公庫融資の申し込み。いよいよ家づくりの始まりである。公庫を申し込むと建築工程の各段階が
決められてしまうからである。賽は投げられた。
息子は1998年4月に中学進学なので、小学校を卒業してから引越するつもりだが、公庫では、延ばしても1年
3ヶ月後(1997年末)には完成させないといけない。竣工から引越までの間ができるが仕方ない。
竣工直後はどうしても湿気りがち、寧ろ身体のためには歓迎すべき。


1996年10月7日
●横浜市の宅地指導課に「建築物新築許可申請」を提出。
敷地は市街化調整区域なので、確認申請の前に、準開発の「建築物新築許可」が必要であった。
ちょっと面倒な申請。10月17日に許可される。

1996年12月20日
●区の建築審査課に「建築確認申請」を提出。
外壁は杉板にしたかったが、区の担当者から難燃処理材にするようにいわれる。防火地域から外れている
のを主張したが、横浜市の指導とのこと。難燃処理材だと非常に割高になってしまう。
結果的に外壁はガルバリウム鋼板とすることになる。


1997年1月21日
●建築確認申請が許可される。

●実施設計(詳細設計)もいよいよ佳境。やりたいことが頭の中をぐるぐる。「予算を考えろ!」と脳から
指令が出る。

●本人が設計事務所の経営者なので、自分で会社に発注し、自分で設計する。
通常、スケッチを沢山描いたり、模型を作ったりして、施主に説明し打ち合わせるが、今回は自宅。
頭の中でイメージが組み立っているので、それらは全て手抜き(?)。
まー設計料を安くしているので当然。

●公園からの景観を考慮し、色、ボリュームなど控えめにする。1階に念願の茶室も作り、その上を
テラスデッキとして2階居間と一体になるようにした。
基本方針はローコスト、高耐久性、自然材料。

1997年3月10日
●横浜市建築助成公社にも融資を申し込む。

●実施設計が完成し、友人経営の工務店に見積もり依頼。
やはり予想以上には安く出てこない。3階並の耐震金物、床下調湿炭、床暖房、大開口の複層ガラス
など、贅沢だけど外せないものばかり。

1997年3月24日
●とりあえず建築請負契約。着工期限(3月31日)が公庫で決まっているので仕方ない。

1997年3月29日
●隣近所に工事の挨拶。古家の解体をはじめる。

●敷地が更地になってみるとイメージも大分違う。非常に明るい印象が増して夢が膨らむ。


1997年4月12日
●地鎮祭。
いままで設計者として様々な地鎮祭に参加しているが、自分が施主として行う地鎮祭は初めて。
いつもとはなく気持ちも高ぶり「自鎮祭」と言った方がよいかもしれない。
真面目に工事関係の安全もお願いしなければ。

1997年5月29日
●もう1社と請負契約。
基礎工事をはじめる頃に、造作工事を安くやってくれる業者が見つかる。
これは建築家自邸の強み。工務店2店のJVとし、得意分野でそれぞれ頑張ってもらうことに。

1997年6月3日
●夫自らコンクリート基礎上に通気用ゴムを敷設。上に乗せる土台と基礎との間に突起の
ついたゴムを挟むのである。これで床下の通気が良くなり土台も腐りにくいので、身体に悪い
防腐剤は使わない。ゴムは多少免震にも効果あるかも。

1997年6月5日
●上棟式
朝から出向き、骨組みが組み立つ過程を、様々な角度で撮影。プレカット(仕口を工場で加工)の
木材が要領よく家の形になっていく。予定よりも早く終わり、直会(なおらい−式後の宴)まで時間
を持て余す。極めて簡略な式を済ませ、宴はねぎらいの挨拶ではじまる。
みんな楽しい人ばかりで盛り上がる。


1997年6月22日
●家族で現場へ、掃除。夕暮れた後、前の公園でホタルを鑑賞。奥の方の沢で見事に乱舞
している。


1997年7月4日
●夫が床下調湿炭(これは妻の希望)を敷設。大工さんの作業工程をみながら、この日しかない
という日に。通気用ゴムと共に、床下湿気対策はこれで万全。炭のイオン効果も安眠を誘うはず。


1997年8月10日
●家族で現場へ。この日は夫と長男で2階床下地の合板を塗装する。1階は天井を張らないので
構造用合板がむき出しになる。それをローラーで塗装。塗る枚数が沢山あるので1回塗りですむ
銀色にした。壁は水拭きのできる吹付材、その漆喰調の白色とも合うはず。


●ローコスト化の要は2つ。まず、職人の手間をなるべくなくすこと。造作もやるべきことをやれば
「ラフ」で結構、それをデザインでカバーしたつもり。2つめは、自分(施主)ができることは極力自分
で行う仕様。

1997年8月13日
●夫と妻は多摩川上流、沢井へ石拾い。15p前後のきれいな玉石を探す。これが玄関の上り
かまちに並ぶことに。

●現場では火、金週2回の定例打ち合わせが続く。施主と設計者が一緒なので、ことはスムーズ。
といっても、現場で新たに出てくるアイデアを度々お願いしてしまうので、施工者は大変。

1997年9月9日
●区の竣工検査
細かい仕上げ(施主工事)が未完成だが、何とか緑区の建築審査を受ける段取り。
区の担当者も面白がって鑑賞(?)、うち解けた雰囲気で終わる。翌日、検査済み証が発行される。
●工務店より建物引き渡しをしてもらう。この引渡書で公庫融資のスタートとなる。実際は手続き上、
最初の振り込みがだいぶ遅れ、工務店にも迷惑を掛ける(なんとかならないものか)。

●追加工事の発注。子供室造付ベット、物置、外構砂利敷き(環境を考え、舗装はしない)など。

1997年10月
●さて、これからが大変。施主の格闘(工事)がはじまるのである。
1階床と階段は厚さ3pの唐松足場板。これをサンダー掛けしなければならない。電動サンダーを使う
も大変。そして青墨で染色拭き取り仕上げ。思った以上に杢目が美しく出て我ながら感動。
(乾燥して透かし目地のようになり、それもまた味わい。)
塗装(外部鉄骨、内部木の柿渋、漆塗りなど)、左官(玄関たたき)、茶室仕上げ(天井、置き床など)、
照明カバー、つまみ金物、他々やることは沢山。
泊まり込むこともあったが、なんとなく別荘を持った気分。

●住まいは住み手が完成させるもの。これは住むスタイルの話だが、今回、仕上げからその実践である。

1997年10月21日
●建物保存登記

1997年11月16日
●友人のカメラマンに竣工写真を撮ってもらう。紅葉がきれい。

1997年12月28日
●漸く家もさまになり、高校時代の友人が最初の来客。2階からの景色をご馳走にお茶を飲む。
その後、いろいろな人が来宅するが、皆さん「景色」をほめてくれる。


1998年1月15日
●近年珍しい大雪、公園は見事な銀世界。幽玄な景色を眺めながら、夫婦で茶室開きをする
(誘っていた友人が雪で来られなかった)。小間の茶室は炉の炭だけで暖かい。
茶室は応接を兼ねたゆとりのスペース、なかなか良いものと、ほくそ笑む。


1998年1月25日
●夫の茶道仲間の結婚祝賀会を催す。男子茶人(?)が15人集まり、茶会を催す。
3帖の小間に8人づつ、2回に分けて、賑やかに無礼講。


1998年2月11日
●設計仲間25人のパーティを催す。夫が製作した唐松足場板製のテーブルが威力を発揮。
3つがいろいろと組み合わさり、直に並べると4mの長さとなる。
テーブルの上に乗るものは妻が大奮闘。


1998年3月24日
●いよいよ引越。施主工事で通いながら少しづつ荷物を運んでいたので、トラックも2t車2台で余裕。
新居は収納も沢山あり、とりあえず段ボールを突っ込み、あっという間に終わる。
●住みながらも、未了であった細かい部分の工事が続く。

1998年7月24日
●神奈川建築コンクールの現地審査。大学教授、公共機関の代表者など、有識者7人の審査員が
朝9時半にやってくる。生憎の雨で印象が悪い。今までの来客は感心してくれるだけだったが、この日
はきびしい質問を浴びせられる。

●洗面台などの唐松板材も安定してきたので、夫が漆塗り。生漆を拭き仕上げとする。
軽く考えていた罰、案の定かぶれが出てしまい2週間痒みに悩まされる。

●南に当たる公園側の大開口は複層ガラスで断熱充分。夏は開放し、公園池越しの涼風で冷房いらず。
軒寸法は夏の陽差しを遮り、冬の陽差しを部屋の奥まで取り込む設計。
と思いきや、冬は陽差しで暑すぎる程。それは良いのだが、食材が痛みやすいと施主(妻)からクレーム
あり。設計者(夫)は台所欄間にひもで遠隔操作のカーテンを自主製作することで対処する。

●2階は「風の間」。テラスと一体となり広く感じる。小春日和にはテラスの手摺りにハンモックを吊して
読書する。
前面公園のおかげで四季折々の自然を堪能。池にはカワセミやサギも頻繁にやってきて、居ながらに
して野鳥観察。ホタル、トンボ、カミキリ虫などの来客も。
パノラマのような借景を眺めながらお茶を飲んでいると、静かに時が過ぎていく。
健康的材料にこだわり、丈夫で快適な家を心がけたが、なによりも景色が保養となって いる。


1998年10月20日
●平成10年神奈川建築コンクールに入賞(住宅部門奨励賞)する。めでたしめでたし。

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